タイトル: 桶狭間史跡マップ

キーワード: 織田信長,今川義元,桶狭間,史跡,マップ,戦い

作成日: 2009/11/04 18:37:47

説明: 桶狭間の戦い:1560年、約3万人と圧倒的な軍勢を引き連れた今川義元に対し、その10分の1程とも言われる軍勢で立ち向かった織田信長が、今川義元を討ち取り勝利したという歴史上最も有名な逆転劇の戦いです。

至 鳴海 至 名古屋 国 道 1 号 線 旧 東 海 道 有 松 駅 バ スターミナ ル ●イオン有松 ●絞会館 長坂南 バ ス 停 ﹁ 有 松 小 ﹂ 有松小文 有松交番 有松中文有松交番前 〒 名古屋鉄道 バス停「高根」 桶狭間 高根山 1 高根 生山 至 岡 崎 至 豊 明 ●名古屋  短期大学 2 釜ヶ谷 武路幕山 地 蔵 池 バス停 「地蔵池」 武路公園 3 七ツ塚 巻山 愛知用水 至 大府 ピ ア ゴ バス停 「幕山」 桶狭間小 文 幕 山 桶狭間 古戦場公園4 5 おけはざま山 7 長福寺 6 瀬名氏俊陣地跡 大  池8戦評の松 バ ス 停 ﹁ 桶 狭 間 寺 前 ﹂ 9桶狭間神明社 至 大府 大高道 バス停 「郷前」 〒 郷 前 桶 狭 間 古 戦 場 保 存 会 名 古 屋 市 緑 区 桶 狭 間 古 戦 場 保 存 会 「信長公記」から読み解く 永禄3年(1560)織田信長×今川義元の 戦い跡をたどる(名鉄有松駅∼桶狭間古戦場公園:約2.5km) 史跡マップ ケータイQRコード対応マップ 11 高根山 た か ねやま 山頂の有松神社 標高54.5メートルで、このあたりで 一番高い所です。今川軍の先鋒とし て、松井宗信隊が着陣し、善照寺砦、 中 島 砦 方 面の織 田 軍の動 静を 監視しました。善照寺砦から出た 佐々、千秋先遣隊との激戦も行われ ました。ここにある有松神社は、日清 戦争以降の戦没者を祀るため、昭和 30年に改築建立されたものです。 22 釜ヶ谷 織田信長は、善照寺砦に旗を多く立て織 田本陣と見せかけ、信長自身は中島砦から 扇川沿いに進み、焼田橋付近から有松駅 北側の山中をすり抜け、釜ヶ谷へ到着、突 撃の機を窺いました。折りからの暴風雨の 止むのを待ち、お けはざま山に陣取 る今川軍へここか らいっきに攻め込 み、今川義元を討 ち取りました。 昭和初期の釜ヶ谷 かまが たに 現在の釜ヶ谷 七ツ塚33 ななつ づ か 信長は、義元を討ち取った後、釜ヶ 谷に全軍を集め勝ち鬨を上げ、村 人には戦死者を埋葬するよう命じて 引き上げました。もとは、武路公園あ たりに七ツの塚がありましたが、平成 元年の区画整理で現在地に移さ れ、その後も供養されております。 桶狭間古戦場公園44 おけはざまこせんじょうこうえん [田楽坪] でん がく つぼ 桶狭間の戦いの中心地で、田楽坪とも言われ、今川義元 最期の地です。「信長公記」によると、義元が討ち死にした 所は、深田の傍らの低地と言うことです。信長の襲撃を受 けた今川軍は、旗本300騎が義元を真中にして応戦しまし たが、しだいにおけはざま山の西の深田際まで押され、つい に義元は討ち取られました。公園内には、「駿公墓碣」の墓 碑があり、毎年戦死者の慰霊祭を行っております。このほ かに、「馬繋ぎの杜松(ねず)の木」、「首洗いの泉」跡などが あります。なお、この公園は、桶狭間の戦い450年を機に 整備され、信長・義元両雄の銅像が建立されます。 義元馬つなぎのねず 戦いの時、義元の馬をつないだと言われる 「ねずの木」です。触れると熱病に罹るとの 伝承があり、ねず塚にあったものを移植し、 今は枯木として残しています。 義元の墓 田楽坪のねず塚から出土した「駿公墓碣」 と刻まれた墓碑です。苔むしていますがその 建立年は不明です。また、隣接して昭和8年 に建立された墓碑もあります。 おけはざま山 今川義元の本陣があったところです。 おけはざま山の中腹あたりは、日当たり もよく、水、草にもめぐまれ、かつ前衛 隊が布陣する高根山、幕山、巻山が 一望できたので、本陣として選ばれた ものと思われます。なお、標高64.7メー トルの頂上付近は、道も無く急勾配 で、人馬が登ることは困難でした。 55 おけはざまやま 瀬名氏俊陣地跡 今川義元の本陣設営のため、武将 瀬名氏俊が先発隊として17日に着 陣した所です。瀬名氏俊は、おけはざ ま山に本陣を設営後、大高に向かっ ていたので戦死を免れ、のち武田家 の家来になったと言われています。 地元では、この地をセナ薮とかセンノ 薮と呼んでおります。 66 せ なうじとしじ んちあと 77 長福寺 ちょうふくじ 天文7年草創の西山派浄土宗寺院。戦いの後、 首検証をさせられた義元の茶坊主林阿弥は、許さ れて国に帰りましたが、後に主君を弔うため阿弥 陀如来像を持って訪れました。堂内には今川義元 と松井宗信の木像も安置されています。他にも、 戦いゆかりの史跡があります。 松 井 宗 信 今 川 義 元 88 戦評の松 せ んぴょうのまつ 戦い当時大きな松があり、この下で今川軍の瀬名氏俊が戦評 を行った所です。初代の松は、「大松」とも言われておりましたが 伊勢湾台風で倒れ、2代目は、2007年に松喰い虫に害され枯 れてしまいました。現在の松は3代 目です。またここには、旧暦の5月 19日に白馬に乗った義元の亡霊 が現れると言う伝説もあります。 初代の松 99 桶狭間神明社 おけはざましんめいしゃ 神社の起源は定かではありませんが、桶狭間村は1340年 頃、南朝の落武者が逃げ込み隠遁生活をはじめた人々が 開村したと言われておりますので、これらの人によって奉祀 されたものと思われます。ここには、瀬名氏俊が戦勝祈願し た折り奉献した酒樽が残されています。また、4代尾張藩主 徳川吉道が植えた杉の枯木が本殿前に立っています。