おけはざまの歴史
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- 10. 合戦の要因
よういん
織田 (尾張) と今川 (駿河・遠江・三河) の勢力図
駿河(静岡県)の今川義元は、大高城と鳴海城に兵を入れて、この地帯に強力な地盤を作ろ うとしていましたが、織田側の付城(砦)に妨害されて動けなくなっていました。そこで、こ の地域の安定をはかるためと、織田側の経済の中心である大高や鳴海を控える熱田の港を、信 長より奪い取るため大軍の約 25,000 名を集め尾張を攻めることにしました。しかし今川の兵 力は武士が少なく(1割程度)そのほとんどが土地の土豪や農民たち(9割程度)でした。今 川の大軍は、1560 年(永禄3年)5月 12 日に駿府を出陣し、7日間かけて沓掛城にやって来 ました。
えいろく す ん ぷ くつかけじょう ど ご う うば ひか あ つ た つけじろ とりで ぼうがい す る が
す る が
とおとうみ
み か わ
土豪:侍でもあり百姓でもあるという兵農未分離の状態という意味である。
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