2009.10.27
いちい信金作成、西尾張の100か所
(読売新聞)
いちい信用金庫(本店・愛知県一宮市若竹)は、戦国武将にゆかりがある尾張西部の史跡100か所を紹介した「西尾張地方の戦国マップ」を作成した。
信長、秀吉、家康をはじめ、その家臣や戦った相手たちの城や砦(とりで)の跡、寺社、古戦場跡などを尾張地区の各商工会議所や観光協会の協力で網 羅した。地図上に史跡の位置を示したほか、裏面には、1か所ずつ史跡の概要や写真を掲載した。また、各史跡をさらに詳しく説明し、交通機関、駐車場の有無 なども紹介した資料編も作成した。
(前文引用)
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平成21年度名古屋観光ヒートアップ選定事業者 桶狭間古戦場保存会がイベントを開催します。
2010年に桶狭間の戦いから450年の節目を迎えます。名古屋観光ヒートアップ選定事業として、桶狭間の戦い450年を全国に発信するためのイベントが行われます。ぜひおでかけください。
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2009.10.24
【次代への名言】信長と秀吉編(8)(msnニュース)
■「心やすくおぼしめし候べく候。唐を取り候て、そもじさまの迎ひを参上申すべく候」(豊臣秀吉)
1592年5月、秀吉が「そもじさま」こと母にあてた書状の一節である。当時、秀吉は肥前(佐賀県)にいた。朝鮮から「唐」(中国。当時の王朝は明)をめざす日本軍を統率するためだった。
成功を信じて疑わない無邪気な文面とは裏腹に、この出兵は当時も評判がよくはなかった。秀吉は「渡海して直接軍を指揮する」と言い出したが、後陽成(ごようぜい)天皇や徳川家康に押しとどめられている。
(前文引用)
2009.10.23
【次代への名言】信長と秀吉編(7)(msnニュース)
「我(われ)に謀反(むほん)するものあるまじ、我ほどなる主(あるじ)はあるまじきに」
豊臣秀吉はよく、そう豪語していたという。自身の人間的魅力や人物眼についての自信がいわせたのだろう。
織田信長は、逆に近い考え方のはずだった。それが、明智光秀の反心を見抜けず、1582年6月、数十人というまる裸同然の警備で京都・本能寺に宿泊していたところを襲撃され、自決する。
(前文引用)


