おけはざま山
 義元の本陣があったところです。桶狭間の戦いについて、最も古く、信頼度が高いとされている「信長公記」には、「今川義元おけはざま山に人馬の息を休めこれあり」と記されています。「おけはざま山」は固有の山の名称でなく、当時の大脇村と桶狭間村の境界にある桶狭間の山を指し、本陣は先陣隊がいる巻山、幕山、高根山が一望できる西側中腹に作られていたと思われます。織田信長が釜ヶ谷から突撃したのは、このおけはざま山の本陣であり、桶狭間の戦いの主戦場となりました。そして、義元は古戦場公園辺りまで攻め込まれ、ついに討ち取られました。
※「信長公記」:織田信長の側近であった太田牛一が生涯にわたり書き留めたものを計16巻(首巻、第一巻~第十五巻)にまとめた織田信長の一代記です。桶狭間の戦いは、この首巻に記述されています。

おけはざま山から見下ろす

 

本陣があったとされる場所

(1)高根山(2)釜ケ谷(3)七ツ塚(4)桶狭間古戦場公園(5)おけはざま山
(6)瀬名氏俊陣地跡(7)長福寺(8)戦評の松(9)桶狭間神明社