桶狭間合戦始末記

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織田軍が中島砦を出撃するころ、南西の空 に夕立雲が湧き立ち、織田軍を追いかける ように流れ、大粒な雨は織田軍の背中を流 していた。織田軍が武路に到着するころ、 本降りとなり、稲妻は中空をかけ廻り、雷 鳴は四方の山にこだまして轟き渡り、騒然 となってきた。 夕立雲は見るまに、桶狭間の空を覆い、晝
大正頃の桶狭間山
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尚暗く、怪しい雲行きになってきた。沛然と降る大粒な雨は車軸を濡らし、稲妻 は激しく光り、雷鳴はその数えるを知らず大空に轟いていた。桶狭間山(海抜 50m) には、今川本陣 1,500 が屯している。手々には 5m の先に鋭利な槍が光っている。 身には鎧兜をつけ、腰には刀を差している。標高 50m の山上は雷の絶好な直撃場 となった。これは不自然のことではない。数万ボルトの光の塊は、物凄い音とと もに、桶狭間山の木々の梢を叩き砕いていた。馬は嘶き、旗指物は右往左往に動 いて 大混乱
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いる。織田信長の下には、放った斥侯より、今川本隊は思わぬ落雷により、 との情報が次々と寄せられていた。
織田軍は、桶狭間山より直線距離にして 800m 位の北の武路の山陰の低地に這いつ くばって大雷雨を凌いでいる。 突撃の機を窺っていた信長は、雷鳴の遠のくや、間髪を入れず、今川本隊の右翼軍 に突撃を命じた。時 13:30 頃。この時の状況を、信長の身辺護衛役として従軍し ていた太田牛一( 信長公記』の作者)は、次のごとく記述している。 『 「俄かに急 雨石氷を投げ打つ様に、敵の顔に打ち付くる。味方の方に降りかかる。……余り の事に熱田大明神の神軍かと申し侯なり。空晴るるを御覧じ、信長槍を押っ取っ て大音声を上げて、スワかかれ、かかれと仰せられ、黒煙立てて懸かるを見て水 をまくるが如く後方ヘクワット崩れたり。弓、鑓、鉄砲、幟り指物、算を乱すに 異ならず」 ここで、少し話が前に戻るが、合戦の時の夕立について、江戸時代の史記『武徳 大成記』と『武功夜話』に書いてあるので、紹介する。 『武徳大成記』は、将軍綱 吉の命で、老中が中心となり、当時の有名学者を集め、今迄の史実の誤りを校訂 するために編集された史記で、桶狭間合戦の夕立について「熱田の方より、黒雲 忽ち起こり、白雨瀕至、風砂面を撲て雷電魂をうばう。今川の兵士走り乱れて各 営中に縮こまり居る。信長衆に命じて言 う。他陣に向かうことなかれ義元が本陣 を襲えと……」 また 、 『武功夜話』には 、 「数日来の景気 厳しく、この辺りの木立も絶えて無く、 中天に陽は輝き待ち居る頃合い……佐々 党我等鳴海に転じて善照寺にたどりつき
現在の桶狭間山遠景(南より)
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