桶狭間合戦始末記

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- たるに人数僅か 80 有余人。中島砦は駿河勢、満んたれば、なす術を知らず。折り しも大師獄辺り鬨の声天地に轟き渡り、四辺真暗と相成り。雷をともない、天地 鳴動してやまず、その場に立ちすくみ茫然たれば、彼方狭間辺り上り勝鬨天地に 鳴き渡り、かれこれ敵味方なる哉定めがたし……」
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総大将の本陣(現在で云えば軍司令部)は休息地といえど両翼前後に隊を配置、その 前に二重三重の歩哨線があって厳重に警戒されている。 『信長公記』を見ると、織 田軍がかなり近くに寄られていても知らなかった様子である。軍馬を交えた部隊 2,000 が間近に進入するを知らなかったということは、普通状態では、先ずあり得 ない。 イ) ロ) ハ) ニ) ホ) 砂煙が濛々と上がり、軍馬の嘶き、蹄の音が聞こえる。 鎧の擦れ合う音、刀、槍の擦れ合う音、何か騒々しい気配がある。 当時は山林、原野が多い。当然 2,000 人が通れば、雉、野鳩、野鳥、狐、野 良犬、猪、兎等が飛び出している。 林、山林を通ってくれば、ある一線だけ木々が風の無いのに、或いは風の反 対に、又、不規則にゆれている筈。又、犬が吠えまくって入る等。 筆者は戦場で数十回の歩哨勤務についているが、集中していれば、枯葉の上 を犬の通るのもわかる。 以上よりしても、織田軍の進撃中は、夕立が激しくなり、稲妻は光り、雷鳴は轟い
て、あたりを震撼させていた頃で、今川も自らの身を護ることに注意を奪われ、織田 軍への哨戒が等閑になっていたものと考えられる。
五、織田軍の今川本陣突入
イ) 話を元に戻し、織田軍の今川本陣突入のクライマックスに入る。突撃の機を 窺っていた信長は、斥侯の報告により、今川軍の混乱を知り、夕立の遠のくと 見るや間髪を入れず、今川本隊の右翼軍に対して、攻撃命令を下した。大雷雨 に自失茫然状態にあった今川右翼隊は、突如として麓より槍をしごいて現れた 織田軍に仰天。戦意を失い、武器をも捨て逃げる有様であった。本陣方へ一目 散逃げる今川軍を追撃していた信長は、桶狭間山と思われるなだらかな中腹に 立派な塗輿の置いてあるのを目敏く見つけた。義元の輿と直感した信長は、大 声で「旗本はここなり。皆者是へ懸かれ」と命令を下した。時に、永禄 3 年 5 月 19 日午後 2 時頃であった。信長の身辺護衛として戦に参加して獅子奮迅し た一人、太田牛一は次のように記述している。 「初めは 300 騎ばかり真丸にな って、義元を囲み退けるが、二、三度、四、五度帰し合わせ々々、次第々々に 無人になりて、後には五十騎ばかりになりたるなり。信長も下立って、若武者 共に先を争い、つき伏せ、つき倒し、いらだったる若者ども、乱れかかってし のぎをけずり、鍔をわり、火花をちらし火焔をふらす。然りといえども、敵味
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