桶狭間合戦始末記

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- くらもあるわけではない。今川本陣が、山、谷、池沼、深田の複雑に込み入っ た桶狭間山に休息するのは、千載一遇のチャンスである。願ってもない決戦場 である。信長は、はやる心を落ち付けて、部将の嘲笑をも甘んじて受け、この 一戦に己の全エネルギーを賭けていたのである。
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19 日早朝(4:00 頃と言われている)、丸根、鷲津両砦より、只今、今川軍の襲撃始 まるとの報告を受けた。信長は飛び起き、 人間 50 年、 「 下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を 得て減せぬ者あるべきか」と舞をし、螺を吹かせ、鎧 を召すや、出陣式もせず、城を飛び出した。続くもの は小姓の岩室長門守、長谷川橋介、佐橋藤八、山口飛 騨守、加藤弥三郎の 5 名のみであった。(部将には夫 々の伝令を走らせ、10:00 に善照寺砦集合を命じてい るものと考えられる)
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信長は先の 5 名をつれ、熱田まで 12k を約 3 時間かけ ている( 信長公記」では1刻とある) 12k、3 時間は 「 。
清須の信長像
徒歩でも可能な時間である。なぜ 3 時間もかけたか。これも信長の清須付近に潜入 する今川のスパイの目を意識しての行動である。間道に入り、ジグザグに行進して 行く先を不明にしたのである。(一説によれば、信長逃亡説も流れたとか)隊伍を整 えて清須城を出発しなかったのも、また、出陣式も敢えて行わなかったのも、敵の スパイの目を意識しての行動と思考せられる。
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8:00, 信長熱田神宮到着。南門上知我麻神杜より大高方面に、黒煙り二本上がるを 見る。丸根、鷲津両砦の陥落を知る。 10:00 善照寺砦に到着。附近に約 3,000 の兵集結。簗田出羽守よりの報告。 イ)今川義元沓掛城 8:00、5,000 の本隊を引率、自は塗輿に乗り出発。 ロ)今川義元本隊、大高道を桶狭間へ、本隊前衛隊約 2,000、桶狭間西方の稜線に 次々と着陣しつつあり。と、次々に情報をいれる。
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信長、善照寺砦の周囲に大将旗を始めとする幟旗を一様に立て、信長この地にあり と鮮明にする。守将佐久間信盛に 1,000 の兵を与え、この地を絶体離れぬなと命じ て守らせる。次いで、佐々政次、千秋秀忠に 300 を与えて、東 南の地、桶狭間の山に着陣した今川本隊の前衛隊に陽動作戦を 命ず。(信長本隊前進の支援部隊)
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織田軍近くの扇川附近に散開せしむ。 今川義元本隊 1,500、11:00 桶狭間山に着陣との情報を受ける。 信長自らは中島砦に前進する。中島砦は扇川と手越川との合流点 の低地にある砦で、今川方本隊前衛陣地より望見できる砦である。 何故この様な敵から望める低地に下りて来たか問題点がある。
やいたばし
中島砦跡
(中島砦に前進したのは信長と幕僚親衛隊で、大部分は現焼田橋付近に集結させたで あろう) 。
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